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バットマン:イヤーツー

バットマン:イヤーワン/イヤーツー』から、今回は「イヤーツー」(1987年作)の紹介。「イヤーワン」についてのポストはこちら↓ 

ライターはマイク・W・バーが務める。作画陣はアラン・デイビスとポール・ニアリーの体制で進むが、途中からトッド・マクファーレンとアルフレッド・アルカラに代わる。(マクファーレンはその後『スポーン/バットマン』の作画を手掛ける)

 

ストーリー

タイトル通り、本作はバットマンとしての活動2年目が描かれており、20年前にゴッサムを恐怖に陥れた覆面の殺人鬼リーパーが復活した、というところからスタート。殺人鬼とはいうものの、このリーパーも街からの犯罪撲滅を目的としたヴィジランテ活動を行っている。が、しかしバットマンと決定的に異なるのは、私刑を容認しているということ。バットマンは犯罪者を警察へ引き渡し、あくまで法で裁くことをポリシーとしているのだが、リーパーは次々と犯罪者を殺していくのだ。リーパーはバットマンこそが己の使命を引き継ぐ後継者であると認識しているようだが、当然バットマンはそれを否定する。

 

バットマンはリーパーの行いを止めようとするも返り討ちに遭い、ボロボロの状態で屋敷に戻ることになる。持てる力を全て出し尽くしたにも関わらず子供扱いされてしまったことから、ブルースは彼が一番手にしてはならないもの/かつて自身の両親の命を奪ったもの、拳銃を手にしてしまう。そしてリーパーへのリベンジのため、一時的とはいえマフィアと手を組むことになるのだが、そこで登場するのがジョー・チル、ブルースの両親を殺害した男/バットマンを生み出した男だったのだ。二人はリーパーの元へと向かう。

 

ここでイヤーツー(チャプター1から4まで)は終了するが、チャプター5として「フル・サークル」(1991年作)というストーリーが始まる。後付け感が強いものの、一応イヤーツーの完結編であり、後日譚的な内容となっている。ストーリーラインを説明してしまうと、イヤーツーのラストを含め色々とネタバレになってしまうので割愛するが、ある男があるものに扮してバットマンの前に立ちはだかる。ちなみにフル・サークルではロビンも登場する。

 

感想

各所で言われている通り、名作であるイヤーワンの続きものとして読むといい作品だとは言い難い。しかし、マイク・W・バーのまえがきを読めばそれも仕方なしと思えもする。バーはまえがきで「木を切るだけではダメだ。その後に新しい木を植えなければ。」という思いを表明しているし、『ディテクティブ・コミックス』誌での連載スタート時点で「イヤーワンと競おうという望みは捨てた。違う方向を目指す。」とも綴っている。そして、これまでバットマンを手がけた様々な作家の名前を挙げ、「彼ら巨人の方に我々は立っているのだから。」とまえがきを締めている。このような思いが背景にあることを知ったうえで読めば、このイヤーツーの印象も多少は変わるのではないだろうか。だからこそバーは今作でバットマン/ブルースに拳銃を持たせ、因縁の男ジョー・チルを驚くべき形で登場させたわけだ。とはいえ、ブルースが拳銃を手にするシーンはあまりにもあっさりし過ぎているし、もう少し葛藤するような演出が欲しかった。そこだけは納得いかない。

バットマン イヤーワン/イヤーツー

バットマン イヤーワン/イヤーツー